平成29年4月  N0.39


皆様には、ご清栄のこととお喜び申し上げます。
今回は高齢社会について考えてみたいと思います。
 昭和40年の65歳以上の人口は618万人で、総人口に占める割合は6.3%でした。それが51年後の今年3月1日には、それぞれ3,427万人、27%になりました。わが国の高齢化がいかに急ピッチで進んだかが分かります。
 医療の進歩や生活環境の改善、国民の健康意識の高まりもあってのことだと思います。日本老年学会が先に65歳以上の高齢者定義を75歳以上に引き上げるべきことを求めました。同感であります。老いには個人差があり、心の持ちようでもあります。
 高齢者の定義を引き上げる根拠として挙げたのは、肉体面での若返りであります。知能の検査で最も高得点の世代は40代から50〜60代に移っていたと言います。こうしたことから、10年前に比べて身体の動きや知的能力が5〜10歳は若くなっているとの判断であります。「高齢者の若返り」が医学的データで裏付けられたことは、明るく活力のある高齢化社会を作っていくうえで大きな弾みになると思います。
 支援が必要な人を支えるのは当然であり、いずれ「支えられる側」になるでしょうが、少しでも長く「支える側」でありたいと誰もが思うと思います。元気な高齢者は資産だと思います。極端な言い方をさせていただくとするなら、長く働く人が多くなれば、税収も増える、年金受給を遅らせる人が増え、支給開始年齢の引き上げにもつながります。社会保障は「支えられる側」から「支える側」に回る人が多くなることで基盤はより安定すると思います。リズムのある生活を続ければ健康が増進され、消費意欲が高まることが期待されます。
 私はそもそも65歳から「高齢者」を呼ばれるのに抵抗がありました。
 老いには個人差があり、気持ちの持ちようでもあります。同窓会に出てみるとよく分かります。同じ年なのに見た目からしてずいぶん違います。
 91歳で天寿を全うした明治の実業家、渋沢栄一はこう言いました。
 四十、五十は“はな垂れ小僧”、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ、と…。
 65歳から75歳にと高齢者の定義を変えることは、マラソンのゴールを動かすようなものです。走り続けて、ようやくゴールに近づいたのに、距離が伸びてしまったが、働けるうちに働こうと言うのなら望むところと思いたいです。いずれは、「支えられる側」になるだろうが、少しでも「支える側」でありたい。同じ仕事は続けられなくても、経験を生かす「第二の人生」がきっとあるはずだと思います。肩書きを忘れ、肩の力を抜いて取組んでは如何でしょうか。
 市は活力ある長崎の実現に向け、多様な「老後の選択肢」を用意する必要があると思います。
 現状の基準で引退を考える人は尊重して受け入れる。同時に70歳や74歳まで働き続けたい人が、収入面も含めて働ける制度を整備して欲しいと思います。



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